房総の主な伝説


源頼朝の伝説

      1180年(治承4)8月、平家追討に向け伊豆で挙兵した源頼朝。
      しかし、相模の石橋山の戦いで敗れ、真鶴岬から海路安房へと逃れた。
      
      実は、頼朝の安房上陸から下総国府到着までの13日間が謎だらけ。
      そのため、様々な伝説が色々な土地で語り継がれてきた。
      
      鎌倉幕府の公式文書といわれる『吾妻鏡』が、そもそも房総での頼朝に触れていないのだ。
      その理由は、上総介広常の余りにも大きな存在なのだろう。
      
      房総での頼朝に触れることは、広常の活躍にも触れざるを得なくなる。
      謀反人として討った広常の行動を評価する記述は、幕府にとっては不味いわけだ。
      
      まずは、頼朝の上陸地から伝説を追ってみよう。
      
      上陸地の定説となっているのは、安房郡鋸南町竜島。
      現在、黒い大きな石碑が立ち、『源頼朝上陸地』の文字が刻まれている。
     
      実は、石碑のすぐ北の磯に、面白い伝説が残る。
      海岸へ上陸しようと、舟から磯へ飛び降りた頼朝。ところが、いきなり顔をしかめた。
      海中のサザエの尖った角で足を傷つけてしまったのだ。
      頼朝は「サザエあるとも角出すな!」とサザエを一喝。以来、この辺りのサザエは角無しになったという。
      
      上陸地はもっと南の館山市洲崎である、という説もある。千葉市立郷土博物館の丸井さんは、強く主張している。
      「海流と潮流を考えれば、洲崎です」。
      真鶴岬から自然に潮の流れに乗れば、洲崎へ到着するという。
      近年、遭難したサーファーが、ほぼ同じコースで洲崎へ流れ着いたそうだ。
      
      伝説も、洲崎には残っている。上陸した頼朝は、喉が渇いたため矢尻で地面を突いた。
      すると、清水が湧き出たという『矢尻の井戸』がある。その傍らには、『源頼朝公上陸地』と刻まれた石碑も立っている。
      
      ちょっと意外な上陸地は、市川市行徳だ。
      江戸時代には、成田山詣での旅人が、江戸小網町から行徳舟に乗りやってきて上陸。
      賑わった行徳の新河岸近くに『笹屋』といううどん屋があった。
      実は、このうどん屋に頼朝伝説が語り継がれてきたのだ。
      
      安房を目指した頼朝一行は、兵糧も尽き下総行徳へ漂着。
      うどん屋仁兵衛は、頼朝たちをうどんと酒でもてなした。
      
      体力と気力を回復した頼朝一行は再び安房へ向かい、やがて軍勢を率いて半島を北上してきたという。
      現在も、旧街道に面して『笹屋』の建物が残っている。
      
      源頼朝は、安房を移動しながら土着の勢力を従えつつ、上総介広常や千葉介常胤に協力を求める書状を発した。
      東上総、つまり太平洋側にも頼朝伝説が各地に残っているのは、書状を所持して現れた使者のことではないだろうか。
      使者=頼朝として、語り伝えられた可能性が大きいと思われる。
      
      かなり慎重な頼朝は、うかつには動かなかったはずだ。
      つまり、半島を北上する際に危険な存在となる勢力が駆逐されるのを待っただろう。
      最大の敵対勢力は、上総国府。ここが攻略される見通しを得て動き始めたと思われる。
      
      半島中央部の木の根峠を越えて安房から上総へ入った頼朝は、総勢一千騎と伝えられる。
      『千騎坂』という山坂道が、君津市と木更津市の境に残されている。
      千騎とは、馬の口取りや鎧持ちなどを含めた総勢となる。騎馬武者は三百ほどか。
      しかし、片田舎の山中に、突如として千もの人馬が出現すれば、それはもう大騒ぎだったのではないか。
      各地で、頼朝を食事でもてなした話が残っている。
      
      木更津から袖ヶ浦を通過した頼朝一行は、市原市立野へ至り宿泊した。
      立野村の豪農・立野長右衛門宅で歓待された頼朝は、近くの山見塚から上総国府方面を眺め、情勢を把握したとか。
      
      そして、源氏の旗竿を新に切り替えてくれたことに感激し、「以後、切替の姓を名乗るが良い」と長右衛門に伝え、
      山見塚から見渡せる土地を全て「そなたにあげる」と告げたという。
      また、「牛を引いて歩き、一日で回れる土地をあげる」と言ったとも伝えられる。
      
      頼朝伝説の中で、有名なのは「そなたに安房一国をあげよう」という頼朝の言葉。
      安房に上陸した頼朝が、住民に感謝して連発する言葉だ。
     
      そして必ず住民は、『安房一国』を『粟一石』と勘違いする
      「粟一国は畑で取れる。それよりは、姓をください」と答えるパターンが多い。
      
      しかし、仁右衛門島の平野仁右衛門だけは違った。頼朝を小島の洞窟でかくまった仁右衛門。
      翌朝、頼朝に例の言葉を言われた。
      すると、安房を粟と勘違いした仁右衛門だったが、「粟一石よりは、島の周囲の漁業権をください」と答えたのだった。
      
      今、自然を守りながら地元と共に存在する仁右衛門島。
      平野さんは、当然ながら漁業権を放棄し、漁協の組合員だという。
      
      上総を通過した頼朝は、下総へ入り千葉城へも足を運んだことだろう。
      東から突き出す低い台地が猪鼻山という城山で、その北西の裾に、『お茶の水』と呼ばれる清水が出ていた。
      この清水で、千葉介常胤はお茶をたてて頼朝を出迎えたという。
      だが、この時代には、まだまだお茶は下総の武士には手の入らない超高級品だったはずだ。

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